Kanda Myojin (神田明神)English Only

Kanda, Tokyo.

 

When tourists from abroad go to a shrine in Tokyo, they like to choose Meiji Jingu (明治神宮)near Harajyuku Station(原宿駅). This shrine, which is dedicated to the Emperor Meiji, is recommended because it is called “power spot” that mean a holy place. My wife’s relatives are working as a shinto (神道) priest.

 

Another shrine I dare to recommend is Kanda Myojin)(神田明神), which is dedicated to Taira no Masakado(平将門).

This shrine is so small that you can walk around easily. And you can find the Edo period’s life in many soba(そば、蕎麦) restaurants and kanmi dokoro(甘味処)around there.

 

One of my most favorits kanmi dokoro in Japan you can find easily in front of entrance of Kanda Myojin is Amanoya(天野屋). This shop is famous for Amazake(甘酒) made by koji,malted rice, Also they have a tea room beside shop. Inside you can find many ancient objects like an antique shop.

I always take Anmitsu(餡蜜)there.

When you use a rest room beside a tea room, you can enjoy a typical small Japanese Garden in a house.

Of course, if you go to Sensouji(浅草寺) at Asakusa(浅草)area, one of the most popular temples in Tokyo, you can find this kind of stores, and also enjoy river cruise on Sumida river (隅田川)to Hamamatsuchou (浜松町) area.

 

急性の痛み以外には、消炎鎮痛剤は使わない

消炎鎮痛剤の副作用

安保徹先生は、消炎鎮痛剤の副作用にも注目されている

消炎鎮痛剤は、経皮吸収で全身に回るため、全身の血流が抑制され、血管が閉じるので血圧が上がる

この状態を1カ月、半年と続けていると、肥満のある人は糖尿病の発症や夜眠れなくなるなど強い「交感神経緊張症状」が出てくる

この状態が続くと、いつも疲れているという状態になり、一日中具合が悪い状態になる

そしていつも興奮しているので、脈が速くなり(1分間に80くらい)、心臓に負担がかかり、心肥大がおこってくる

また血管が閉じるので、指先が冷たいなど体が冷える

だいたい5年から10年の間に破綻をきたす

最後は消化管の働きが止められ、食欲がなくなってやつれ、老化が促進されて寿命が尽きる

思い当たる自身の副作用

思い返せば、消炎鎮痛剤を使い始めてから2年半だ

主に痛みの激しい両手の親指、人差し指、中指に就寝前に貼っていて

昨年以降、在宅勤務がはじまってからは

朝から夕方までも貼っているようになった

 

その間、心拍数を測ることはなかったが、

駅の階段を上る時に息が上がるようになったのが気になっていた

朝夕のウォーキングに励んで体力維持に努めているが、

夕食を済ませるとすぐに眠くなってきて

特にお酒はほんの少しだけでも酔いが回り、睡魔に襲われる

これでは酒の宴がはじまっても、楽しみな気持ちにはなれない

そして一番怖いのは、

「心の張り」を失うことだ

仕事で10代から20代のひとたちとの関りが増え、

本来であればそれが活力になってもよいはずなのだが、

接していて疲れを感じている自分がショックだった

このままでは生きる屍(しかばね)になりかねないのではないかと

鎮痛消炎剤は、よほどの痛みがない限り使わない

思い立ったら吉日

昨日の就寝時からはじめたネックウォーマーと

温熱マットで血流が良くなるのか

指の痛みも軽減されているので

今日から消炎鎮痛剤を貼るのはやめよう

あらためて安保先生の言葉に出会えたことに感謝したい

増富温泉 リウマチ治療に確かな実感

リウマチ治療で有名なラジウム温泉、増富温泉

東京から4時間ほどのアクセスの良さも魅力だ

宿泊はホテル金泉閣

二泊三日で、1回30分を8回、合計4時間を目標にする

初日は2回入った

話には聞いていたが、源泉は冷たい

あたたかい湯と交互に浸かる

夏場には心地よいが、冬場に浸かるのは厳しかもしれない

旅行カバンの持ち歩きのためか、両手の指が痛くて曲がらない

これでは何のための温泉旅行かわからなくなるから、

帰る日までに効果が実感できますように

そしてラジウム温泉2日目
4回入って昨日から通算7回
両手は開けるようになり、
ロキソニンテープで出来た沢山の水痘がだいぶ消えた
合間に、渓流を散歩したり、
美味しい無添加料理をゆっくりといただけるのも、
からだにいいのだと思う
今夜は網戸にホタルが来ている
キミは誰なんだ?
温泉街でいただいたデザート
旬の桃とクルミが、大豆とバニラに絡み合って至極の時間
 

膠原病の原因であるストレスを絶つ

再び、安保徹先生の「免疫革命」を読んでいる

先生は免疫が強すぎて自己を攻撃しているというのは間違いで、

免疫の抑制状態でリウマチが起こっていると断言されている

強いウイルス感染やストレスの結果、血流障害、顆粒球増多が起こり、

組織破壊が起こる。

そこで全身で炎症を積極的に起こして、

組織修復を待つという治療を実践されている

そしてステロイドによって血流が悪化し、

体温が下がり、高血圧に向かう

ステロイドへの依存に対して強い警鐘を発し、

病を笑い飛ばして治すつもりで

ストレスを脱却する生き方を推奨している

うたや音楽のちからだけではなく、

そこに免疫力強化の取り組みがシナジー効果を生んで

リウマチの寛解を現実のものにしようと勇気づけられる

 

 

中学受験学習塾のマネープラン ~ 中高大での費用効果と比べてみる! 

中学受験学習塾に通う目的とは何か

中学受験学習塾に通う目的は何なのか?

言うまでもなく国公立・私立中高一貫校に進学するためであるに違いない

しかし年間100万円を投じる価値が本当にあるのだろうか?

学校のクラス仲間が行っているからなど・・何となく通っていないだろうか?

私立校でなければ、という脅迫観念にとらわれていないだろうか

年間100万円は大きい

もし公立中学校に行けば、高校受験の準備に充てることになるが、それほどの費用にはならないだろう

もし私立に入り、弟や妹がいて、資金が尽き、

私立中学校へ進学できないということになれば、どうなるだろう

後々、不公平との不満になりかねない

そのためにもしっかりとマネープランを立てておかないといけない

受験学習塾に通うにふさわしい生徒とは

受験学習塾への考えは割り切って考えている

小学校のクラスで上位5位以内くらいにいて、

難関の中高一貫校を目指せる実力があれば通う価値はある

授業の内容もしっかりと理解でき、

さらなる飛躍が期待できるからだ

しかしそれ以下であれば、塾に100万円をかけることはあまりにも不合理だ

小学生のうちくらいは、夢を見たいというのもわかる

しかし学習塾での競争で高位を維持するのは、

クラスで5番以内というレベルでなければまずありえない

夢を持つためにしては、あまりにもコストが高すぎる

 

今は児童数減少により、中堅クラス以下の中高一貫校は受験者の確保に必死だ

オンライン授業の浸透で、私立校の人気が出ていると言われているが、

一方でコロナ不況によって

私立中学に進学できる家庭が大幅に増えるとは考えにくい

学校で平均レベルの生徒がとる策とは

クラスで平均以上のレベルであれば、

塾に通わなくても中堅クラス以下の中学校への門戸は開かれていると思っていい

どうしても気になれば、

不得意科目だけ週に一度くらいの個別指導塾でリカバリーして、

安く抑えるという手もあるだろう

小学校の授業の内容がしっかり理解できていれば、

全国模擬試験でも十分に合格圏にはいれるはずである

 

そして余裕をもって中堅クラス以下の中学校で

6年間の一貫教育の優位性を活かして、

大學受験を有利に迎えられるよう再び学校の授業中心で臨めばよいのだ。

もしくは、公立中学校で、

上位5位以内の生徒が中高一貫校に行って抜けたなかで、

努力すれば自身が上位組で戦っていけることになる

あらためて受験塾の価値を考える

最近の受験塾は、2つの上位塾へ優秀な生徒が集中する傾向にあり、

3番手・4番手以降の大手塾の合格実績は徐々に厳しくなっているように感じる

合格者数を見ても、

一握りの成績上位者が併願により実績を稼いでいるのがかいまみられ、

ますます塾に100万円払う意味が感じられなくなっている

 

特にスパルタを売りにしてきた進学塾では、

理解の速い優秀な生徒であればついていけるが、

平均レベルの生徒に対して多くのことを吸収させようとしても消化不良となり、

悪循環に入るのではないかと懸念される

 

そもそも画一的な教育システムからの脱皮が求められている状況にあって、

学校を選ぶことは偏差値ではなく、教育方針などとの相性がますます重要になってきている

いまだに従来の指導法にこだわって、

たくさんの時間をかけて量をこなすことを前面に出している塾であれば、

そこに費用を投じる価値があるのか、

充分に検討して入塾することが肝要と心得たい

東京堂書店がくれた本の愉しみ

楽しみにしていた週1冊の本との出会い

中学校の3年間から高校の前半くらいまでは、本の虫だった

週に1冊読むことを習慣とし、狭い自室の本棚はすぐにいっぱいになった。

主に和洋問わず、様々な小説をむさぼるように読んだ。

 

その時にお世話になったのが、東京堂書店だった

間口は狭いのだが、奥行きはあり、奥のほうに行くと静かで落ち着いた

そこにある文庫本は豊富だった

その前で、本のタイトルだけを頼りに、面白そうな本を手に取り、家に帰ると時間を問わず読書に明け暮れた

そんな毎日だったので、人と関わることは少なく、

その分作家や小説で描かれている世界への想いを強めていった

その後高校生の時に訪ねた花巻の高村光太郎の山荘や

大学時代に訪ねたギリシャの国立博物館など

自身の一部となった物語や詩が生きていることを確かめ

とても満足したことが思い出される

本と本棚の価値観が変わった

こうして多くの本を提供していただいた東京堂も今はなく、

その後、駅前にあったたくさんの本屋さんも

通販や紙離れにより多くが姿を消しているようだ

 

かく言う自身も例外ではなく、

その後の文芸書やビジネス書でいっぱいになった書棚は

高さが237cm、幅が180cm、

奥行きもスライドのため47cmと

部屋の中でそびえたっており

一連の断捨離の流れで

その役目もそろそろかと思っている

変わらない東京堂のあった場所のぬくもり

家族からまるで本屋さんのようだと

言われる本の虫も

東京堂さんに育てていただいたわけで

今でも店のあった建物の前を通ると

奥までびっしりと並べられた本のぬくもりが

伝わってくるようだ

進学塾の創成期 能率(能率進学教室)の記憶

中高一貫校への進学へと導いた同級生

この塾に通うきっかけは、小学校の同級生から誘われたからだった

もともとは普通に近くの公立中学に通うつもりであったのが、

結果的には、その後私立中学の受験・進学に進むこととなり、

想定していなかったコースに案内してくれたのはこの同級生となる

能率の受講生募集より

当時の受講生募集案内の冒頭には、下記のコピーが踊っている

◎ 国立・私立中学進学の権威!

◎ 各科専任講師による能率的学習法!

◎ 日曜テスト・コンピューターによる編差値算定!

◎ 日本学習能率研究会が編集する独自のテキスト使用

「偏差値」という言葉に初めて触れ、

 おそらくは当時の塾の中でも先進的な指標だったのだろう

「各科専任講師」という表現も、当時は珍しかったのかもしれない。

記憶に残っているのは、社会の先生で

授業中に質問に答えられないと、

「デコピン」と呼ぶ指先でおでこにぱちんと叩かれる儀式が

緊張感とワクワク感を高じさせた

 

駅前からスクールバスを使い、

帰りは自宅近くまで送ってくれた

校舎は少なくとも2つはあり、

平屋で農家を改造したような趣があった

夜おなかがすくと、

近くの売店でおやつを買ってつまんでいた

 

受験校を選ぶ際には面談があり、

何人かの先生を前に、受験校を絞っていた。

ただそのころはまだ中高一貫校への受験熱はそれほど高くはなく、

それまでの模擬試験の結果を見ながら、

2校くらいに絞り込まれていて、

通える距離かどうかなどで1校を選んだという、

今に比べれば併願などもないのんびりとした時代だった

進学塾創成期の仲間たち

受験が終わり2月中旬には、修了式のような集まりがあり、

広告にはその時の集合写真が掲載されている

上のほうから撮影していて、

皆見上げるようにして笑っている

一人一人の笑顔が生き生きとしていて、

その後進学した私立校の同級生もいることから

小学校の卒業式とは別のもう一つの卒業式の写真のようだ

※プライバシー保護のため、ぼかしています

新聞の折り込みチラシとして配られ、はっきりと顔が識別できる

なんとも穏やかな時代でした・・

 

その後ほとんどの人とは会う機会はないが、

中学受験から大学受験、そして就職、入社後と、

人それぞれにピークとハードルがあり、

挫折したもの、それを乗り越えたもの、悲喜こもごもなのだろう

彼らの笑顔を見ていると、

一つの曇りもなく未来に向けて飛び立とうとしている

それぞれの想いが感じられて、やけにまぶしい

 

広告は、年度初めの春期講習会で、

新6年生は午前中に基礎練成と午後に実力練成クラスが組まれている

それぞれ受講料9,000円、テキスト代500円で、

中学受験希望者は基礎・実力両方なので19,000円となり、

当時としては決して安い授業料ではなかっただろう

親には感謝している

能率へのレクイエム

その後、この塾はしばらく活気があったのだと思うが、

ご存知の通りその後の本格的な受験ブームと進学受験塾の台頭により、

姿を消すことになる

当時の敷地を探しても、住宅街の中に埋もれて、その面影は残されていない

あの頃の塾の先生たちも、小学校の先生と同じように、

元気でおられるか時おり思いだしては感謝している

人間味にあふれた温かな先生たちだった

 

ニュータウンだった街はどこへ向かうのか

深い森

半ズボンで遊んでいた頃、裏山には大きな森があった

そこでは野うさぎが走りまわり、

蛇たちが縦横無尽に這えずり、

山ゆりが甘い香りを漂わせていた

春には、ぜんまいも良く採れた

湿地を超えるときには、

丸太にしがみつきながら、

恐る恐る奥にある未知の世界へ渡っていった

やがて自転車でも走る山道となり、

時には蜂に追われながら、

山を下りていくこともあった。

田んぼの楽園

近くの田んぼでは、アマガエルが跳ね、

足を入れると蒜(ひる)に血を吸い取られた

そこでも様々な生き物たちの楽園だった

やがて造成した広場になると、草野球場となり、

時には泥の玉を作って、二手に分かれてぶつけ合いを繰り広げた

けがをさせればしょんぼりとその子の親のところへ謝りに行った

もはや今その面影はないが、耳をそばだてると、

鳥たちのさえずりや子供たちの歓声が聞こえてくる気がする

駅前の風景

駅に出れば、シンボルだった鶏の塔があった

駅前の公園は、なだらかな坂になっていたが、

何の抵抗もなく子供たちの草野球場でもあった

プラーザビルの小さなおもちゃ屋は、

子供たちのたまり場になっていて、

その対応疲れなのか店員の女性はいつも無表情で愛想がなかった

月に一回だけ「山ゆり」という小さな洋食屋での家族との外食が楽しみだった

そこで生まれて初めてグラタンをほおばり、

その後、おそらく最後の晩餐には指名するであろう最大の好物のひとつとなった

そして父は、

駅前の東急サービスセンターで開かれる植木市でお気に入りを探し、

庭で大事に育てていた

ここでは盆踊りもあり、

あの熱気は蜃気楼のように思い出に残されたままだ

あのニュータウンはいま・・

今は大きなビルに囲まれ、

お店もたくさん増えた

その分、人ごみにまぎれて駅を降りると青空は見えず、

とても小じんまりとして窮屈に感じる

お店に個性が感じらず、

どんどんと街の色が失われていくような気がする

 

思えば親の代、希望を馳せて広々としたこの地にやってきて、

この地の発展と共に、子供たちの成長を見守り、

そして今は静かに余生を送っている

家の近くまで来ると、とてもひっそりとして、昔のように声を上げれば家の周辺どこまでも響きわたるようだ。

いま親の世代が終わると、子供たちが売却した土地は切り売りされ、

新たな世代の人たちが住む

そのため周りの家々も小型化してきている

横浜都民と揶揄されるこの街も、

皮肉にも都内の町の風景と大きな差が感じられなくなっている

 

この風景を見ていると、小都市化し、

わくわくする自然や人と交流する場所をさがすことができなくなってきている

そのことが寂しさをかきたてる

かつて親も子も感じた

自らが作り出すポテンシャリティをかもし出す街に

もう一度生まれ変われないものか

変わらぬ教育熱

田園都市の特長として、

教育レベルの高さがある

小学校の高学年になるころには、進学塾があり、

友達に誘われて通い、私立中学に通うことになったが、

当時から私立校への進学率は高かった

中高を過ごした母校には東京から通学する学友が多かったし、

今も教育度の安心を求める新しい家族も増えているようだ

これは大事な文化のひとつと思う

一方で芸術や文芸をもっと根付かせて、

住む人の心の豊かさを醸成する街の風が求められているだろう

コミュニケーションの場が多く形付けられる遊びの場、生活の場が

求められているのではないか

再生する街のありようとは・・

特に駅を降りたときその町の印象は決まる

失われた緑をより多く再生し、

大きな青空と木々の匂いを感じたい

商業エリアは分離され、

そこでは小さな自営業の店をもっと活性化していく

ことも求められているのではないか

かつて訪ねて売りに来てくれていた地元の農家の人がいたように、

その日に収穫された新鮮な野菜を販売し、

ふれあいを持てる場もあるといい

語源の通り、

カルティベイトとカルチャーとが融合する新たな街づくりが望まれる

Murou-ji(室生寺)English Only

Murou-ji (室生寺)

Asuka(明日香、飛鳥) is near Nara(奈良) city in Osaka and Kyoto area, which town is famous for the original capital city before Nara, Kyoto, and Tokyo.

Now we can not find any buildings there. Only fields, Grave Stone and temples.

One of the favorite temples in Asuka area is Murou-ji. The five layers tower in this temple is very famous especially in the snowing.

When I visited last time, it was summer season. In the bus only one monk practicing asceticism rode except for me.

The five layers tower was smaller than I expected. This illusion comes from designing of building and location on the hill.

Walking far back from this tower, narrow mountain pass is continued. I met an old wild monkey in front of guardian deity of children. We stared in the face with each other, and he vanished into the forest.

I was refreshed by sharing the time with him.

 

In Asuka area, there are private home providing meals and lodging called Minshuku(民宿).

Having arrived, a family served fresh juice and a rice cake with soybean flour (Kinako mochi).

After light dinner served by them, I could hear no sounds except for the boom of a temple bell outside.

I could wake up early in the morning, and enjoyed walking to see other historical spots.