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ニュータウンだった街はどこへ向かうのか

Contents 目次

深い森

半ズボンで遊んでいた頃、裏山には大きな森があった

そこでは野うさぎが走りまわり、

蛇たちが縦横無尽に這えずり、

山ゆりが甘い香りを漂わせていた

春には、ぜんまいも良く採れた

湿地を超えるときには、

丸太にしがみつきながら、

恐る恐る奥にある未知の世界へ渡っていった

やがて自転車でも走る山道となり、

時には蜂に追われながら、

山を下りていくこともあった。

田んぼの楽園

近くの田んぼでは、アマガエルが跳ね、

足を入れると蒜(ひる)に血を吸い取られた

そこでも様々な生き物たちの楽園だった

やがて造成した広場になると、草野球場となり、

時には泥の玉を作って、二手に分かれてぶつけ合いを繰り広げた

けがをさせればしょんぼりとその子の親のところへ謝りに行った

もはや今その面影はないが、耳をそばだてると、

鳥たちのさえずりや子供たちの歓声が聞こえてくる気がする

駅前の風景

駅に出れば、シンボルだった鶏の塔があった

駅前の公園は、なだらかな坂になっていたが、

何の抵抗もなく子供たちの草野球場でもあった

プラーザビルの小さなおもちゃ屋は、

子供たちのたまり場になっていて、

その対応疲れなのか店員の女性はいつも無表情で愛想がなかった

月に一回だけ「山ゆり」という小さな洋食屋での家族との外食が楽しみだった

そこで生まれて初めてグラタンをほおばり、

その後、おそらく最後の晩餐には指名するであろう最大の好物のひとつとなった

そして父は、

駅前の東急サービスセンターで開かれる植木市でお気に入りを探し、

庭で大事に育てていた

ここでは盆踊りもあり、

あの熱気は蜃気楼のように思い出に残されたままだ

あのニュータウンはいま・・

今は大きなビルに囲まれ、

お店もたくさん増えた

その分、人ごみにまぎれて駅を降りると青空は見えず、

とても小じんまりとして窮屈に感じる

お店に個性が感じらず、

どんどんと街の色が失われていくような気がする

 

思えば親の代、希望を馳せて広々としたこの地にやってきて、

この地の発展と共に、子供たちの成長を見守り、

そして今は静かに余生を送っている

家の近くまで来ると、とてもひっそりとして、昔のように声を上げれば家の周辺どこまでも響きわたるようだ。

いま親の世代が終わると、子供たちが売却した土地は切り売りされ、

新たな世代の人たちが住む

そのため周りの家々も小型化してきている

横浜都民と揶揄されるこの街も、

皮肉にも都内の町の風景と大きな差が感じられなくなっている

 

この風景を見ていると、小都市化し、

わくわくする自然や人と交流する場所をさがすことができなくなってきている

そのことが寂しさをかきたてる

かつて親も子も感じた

自らが作り出すポテンシャリティをかもし出す街に

もう一度生まれ変われないものか

変わらぬ教育熱

田園都市の特長として、

教育レベルの高さがある

小学校の高学年になるころには、進学塾があり、

友達に誘われて通い、私立中学に通うことになったが、

当時から私立校への進学率は高かった

中高を過ごした母校には東京から通学する学友が多かったし、

今も教育度の安心を求める新しい家族も増えているようだ

これは大事な文化のひとつと思う

一方で芸術や文芸をもっと根付かせて、

住む人の心の豊かさを醸成する街の風が求められているだろう

コミュニケーションの場が多く形付けられる遊びの場、生活の場が

求められているのではないか

再生する街のありようとは・・

特に駅を降りたときその町の印象は決まる

失われた緑をより多く再生し、

大きな青空と木々の匂いを感じたい

商業エリアは分離され、

そこでは小さな自営業の店をもっと活性化していく

ことも求められているのではないか

かつて訪ねて売りに来てくれていた地元の農家の人がいたように、

その日に収穫された新鮮な野菜を販売し、

ふれあいを持てる場もあるといい

語源の通り、

カルティベイトとカルチャーとが融合する新たな街づくりが望まれる

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